「シリーズ アメリカ文学の感想」では、
もしもしが読んだアメリカ文学のあらすじや感想を書いています。
作家・作品基本情報
作家:ジャック・ロンドン(Jack London, 1876-1916)
出身地:カリフォルニア州サンフランシスコ
作家カテゴリー:自然主義作家
(弱肉強食や社会の腐敗を書かず「お上品な伝統」を描いていた19世紀リアリズム作家に対し、フランス自然主義や進化論に影響を受け、社会の底辺を描き出そうとした作家たち)
作品原題:Martin Eden
作品出版年:1909年
あらすじ
アメリカ西海岸オークランドに生まれた20歳の貧乏水夫マーティン・イーデンは、ブルジョワ階級の女性ルースに恋に落ちる。中学さえ卒業していなかったマーティンだが、大学で文学を学ぶ彼女の影響を受け、あらゆく学問を貪欲に学び始める。次第に書くことを仕事にすることで労働者階級を脱し、ゆくゆくはルースと結婚することを志すようになっていった。
しかし、寝る魔も惜しんで創作に取り組むマーティンの仕事ぶりは報われない。推敲を重ねて書き上げた何十編もの小説や詩は、ことごとく出版社から返送されたのだ。晴れて恋仲となっていたルースすら彼の作品を評価してくれることはなく、彼女からは別の仕事を探すように勧められる。書くことを諦めようとしなかった彼は、ついにルースの両親から彼女との婚約を破棄させられてしまう。
だが、ツケ払いと質入れを重ねて経済的に切迫したマーティンのもとに、出版社からの採用通知が届く。それをきっかけに徐々にマーティンの作品は売れ始める。みるみるうちに人気作家となっていった彼は、同時に、周囲の変化に動揺していた。自分が辛かった時は見て見ぬふりをしていた人々が、手のひら返して彼の書いた作品を絶賛するようになったからだ。人からの好意に疑心暗鬼になったマーティンは、復縁を求めて現れたルースをすらも拒絶し、自ら命を手放すことを選ぶのだった。
もしもしおもしろポイント
「初恋」と「初学」の没頭感
初恋(の定義はさておくとして)をすると、どうしようのないくらい相手のことにばかりに夢中になってしまうと思います。セックスの経験はあれど、この人に首っ丈!という経験はルースが初めてだったマーティンは、彼女が気になってたまらなくなります。ルースの家の前を意味もなくふらふらして、「ああこれが彼女の姿を隠しているのか…」と思いながら家の壁をすりすりしてみたり(このねっとりとした気持ち悪い愛情の向け方が、フォークナーの描くスノープスっぽくて好き)。また、ブルジョワ階級である彼女に見合う身なりでありたいと考えていた矢先、「身分の高い人たちのズボンには折り目がある!」と発見。一生懸命自分でアイロンをかけた結果、ズボンを焦がしてダメにしたり。物語冒頭のマーティンは、とにかく一生懸命でかわいい、初恋らしい初々しさを持っています。
ルースへの恋心と同時に、マーティンは学びの喜びに目覚めます。文学を学ぶ彼女に影響され、ドキドキしながら初めて図書館を利用し、詩や物語を読みます。それをきっかけに、無知ゆえに会話の中で正しい文法を使うことさえできなかったのに、文章の書き方、マナー、哲学、数学など、あらゆる学問を貪欲に吸収していきます。寝る間も惜しんで学びに没頭していくマーティンの様子は、ちょっと異様だけど、なかなか楽しそうで読んでいて爽快。
何といっても1番つらいのは、代数や物売りの本を閉じ、ノート鉛筆を片付け、疲れた目を閉じて眠りにつくことであった。ほんのわずかの時間でも生きるのをやめると思うと、ゾッとした。唯一の慰めといえば、目覚まし時計を5時間後にかけてあるということだった。とにかく失うのはたったの五時間で、そうすれば目覚ましベルが鳴って、無意識の状態から引き起こされ、また十九時間という別の輝かしい一日が訪れてくるのだ。(ロンドン 111)
今日もあっという間に終わってしまったという焦りと共に、一日中何かに集中した時のぐったりした疲れ、そして、明日はどんな新しいことを知れるのだろうというわくわく感。明日もたくさん勉強して、今日の自分よりパワーアップするぞーという確信があるのだと思います。学び始めでそれについて何も知らないからこそ、自分の伸び代に向けてがむしゃらに突進していけるときの感覚は、初恋のように長くは続かないからこそ、とても尊い。
「ぼくは同じなんです!」
マーティンが名声を手に入れた後、かつて彼を見捨てたルースが復縁を求めて愛を伝えます。
私、あなたのためなら死んでもいいわ!あなたのためなら死んでもいいわ!
しかし、マーティンははもはや彼女の愛を信じることができず、自分の想いを彼女にぶつけます。
なぜ前にその勇気を出してくれなかったのですか?…職がなかったときに?腹をすかしていたときに?今の僕と全く変わりがなく、男として、芸術家として、同じマーティン・イーデンであったときに?この問いを、僕はこのところずっと自分に投げかけているんです———あなたについてだけじゃなく、みんなについても。ご覧のとおり、僕は変わっていません。けれども、急にはっきりと真価が認められたがために、その点で僕は絶えず自信を取り戻さねばなりません。肉体にしたって、手の指、足の指にしたって、変わってないんです。僕は同じなんです。新しい力や長所を何ら延ばしてもいません。ぼくの頭は、昔と変わりません。文学や哲学に関する新しいまとめだって、ひとつもやっていません。僕個人は、誰にも相手にされなかった頃の僕と同じなんです。(ロンドン 449)
ここのマーティンの台詞、めちゃくちゃいいですね。貧乏だったときは見棄てたのに、今さら愛しているって何なんだよ!と、元恋人に正論パンチしてしまうところに、世間に対する彼のピュアさがあふれている気がします。
一方、「あなたのためなら死んでもいい」というルースの言葉は、実際には身を捧げる度胸などなかろう彼女の薄情さを感じさせます。でも、彼女だってブルジョワ社会に生きる若い女性。家柄もなく、お金もなく、仕事すらない男性と結婚なんてすれば、自身の階級に留まれないどころか、身売りせねばならない境遇に流されかねません。結局、マーティンの言い分は、二十歳すぎても厨二病を卒業できない(=社会に適応できない)純情青年のだる絡みというわけです。そういうの、大好きですけど。
自然主義作品としての『マーティン・イーデン』
『マーティン・イーデン』という小説は、「一皮むけばみんな同じ人間を階級分けして、体裁と見栄ばかり張りやがって!」と突きつけてくる感じがします。まさに、環境と遺伝に否応なく押し流されるさまを描く自然主義文学を代表とする作家ロンドンの自伝的小説です。
でも、ロンドンは、しょせん人間なんて流される生物に過ぎないとは思っていない気がします。なんたって、マーティンの最期は船からの身投げだから。
どんどんもぐって行くと、遂には腕や足が疲れて、ほとんど動かなくなった。…そのとき、苦痛と息のつまる状態とが襲ってきた。この痛みはまだ死んではないんだ、という考えが、フラフラの意識の中で揺れ動く。死は苦しいものではない。このすごく息が止まりそうな感じこそが、生だ、生の苦しみなんだ。生が自分に加える最後の打撃なんだ。
強情な手足がバタバタともがくが、発作的で力も弱い。だが彼は、その手足や、生きようとする意志がそれらを動かすのを小馬鹿にした。(ロンドン 471)
たとえ人間が遺伝と環境の産物だったとしても、自分という存在は自ら進んで生を投げ出してやる程度の反撃できちゃうぜ…!と言い捨てているみたいです。一生懸命生きようともがく自分の身体の意志すらも小馬鹿にしてしまう彼のニヒリスティックな自意識は、ちょっと悲しすぎるけれど、死ぬ瞬間まで手放したくない自己の存在を誇示しているように私には思えました。
引用・参考文献
ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』辻井 栄滋訳、白水社、2018年。
柴田元幸編『MONKEY vol.4———ジャック・ロンドン 新たに』スイッチ・パブリッシング、2014年。
高橋正雄『アメリカ資本主義の形成———二十世紀アメリカ小説I』冨山房、1973年。