ウェルティ『デルタ・ウェディング』

アメリカ文学

 

 

 

「シリーズ アメリカ文学の感想」では、

もしもしが読んだアメリカ文学のあらすじや感想を書いています。

作家・作品基本情報

作家:ユードラ・ウェルティ(Eudora Welty, 1909-2001)

出身地:ミシシッピ州ジャクソン

作家カテゴリー:南部女性作家

作品原題:Delta Wedding

 

『デルタ・ウェディング』ってどんなお話?

結婚、それに伴い子を産むという女の行為は、とりわけアメリカ南部という土地にあっては、ウィリアム・フォークナーが描くような戦で死ぬ(=大義を果たす)男の行為と同じ重みを持ちます。南部において、広大なプランテーションを維持し続けるためには、その家系を繋いでゆく世継ぎとなる正統な血筋の子が必須だからです。かつてそれは、生を全うすることと同じくらい、女の人生において自然な事象として受け止められてきました。しかし、南北戦争を経て、北部資本の流入により旧南部の経済システムを基盤にしたプランテーションが力を失っていくなか、女性たちは自身の結婚と出産に疑問を持ち始めます。ケイト・ショパンの『目覚め』(Kate Chopin, The Awakening, 1899)でエドナが自我を芽生えさせたように、南部の女性たちの人生を変化させていったのです。

そうした変わりゆく南部社会を背景にして、女性の結婚と出産という主題を描いているのが、ユードラ・ウェルティの『デルタ・ウェディング』(Eudora Welty, Delta Wedding)です。物語に描かれるフェアチャイルド家は、南北戦争に従軍した男を祖父にもつバトルを大黒柱とし、ミシシッピ州デルタの一大プランターとしてその名を馳せてきた一家です。この小説は、1923年、バトルの次女で17歳のダブニーの結婚式前後数日間に起きた出来事を描いています。あらすじと呼べるものはほぼなく、結婚式に集まった親戚らの会話や、彼らの心情描写や回想など、大小様々なエピソードの集積からなる小説です。

 

もしもしおもしろポイント

「余所者」

結婚といえば、喜ばしいもの(と考えられています)。しかし、ダブニーの結婚式に集まる親戚の会話には、この結婚におけるネガティブな南部事情が映し出されています。それは、彼女の夫としてフェアチャイルド家の婿養子に入る新郎トロイの身分です。農園監督として一家に従事してきた彼の出身は、ミシシッピ州ティショミンゴと呼ばれるアパラチア山脈麓近くにある田舎町です。同じ州内とはいえデルタの広大な土地を所有するプランターのフェアチャイルド家の婿として釣り合うとはいいがたい人物。そんな彼が婿入りするという事実が示すのは、フェアチャイルド家が斜陽になりつつあるということです。家系の存続を決定づける2人の結婚は喜ばしい出来事ですが、皮肉にも、その喜びをもたらしたトロイの身分は、彼ら喜びを少なからず曇らせる要因となっているのです。

例えば、フォークナー『アブサロム、アブサロム!』(William Faulkner, Absalom, Absalom!, 1936)において、ヨクナパトーファ群で長く信頼を得てきたコールドフィールド家はバージニア州の山奥出身のトマス・サトペンとの結婚により悲劇に見舞われます。この物語が表すのは、素性の曖昧な人間との結婚は、歴史を持つ南部家庭に問題を持ち込みかねないことです。フェアチャイルド家の人々の会話の中に滲み出るトロイへの距離感は、生粋の深南部に生きる彼らが避けがたく持ってしまう余所者への態度と言えるでしょう。

とはいえ、トロイは長年の間フェアチャイルド家へ献身してきました。作中、農園内で黒人が起こしたトラブルを彼が解決するエピソードが描かれていますが、実はこれはなかなか凄いこと。というのも、『アブサロム』のサトペンが市街地の家の黒人使用人に邪険に扱われてしまうように、山育ちの貧しい白人(=プアホワイト)は、黒人と接することに慣れていないし、それどころか黒人から見下される存在ですらあるのです。にもかかわらずトロイは、農地と黒人を支配する能力が十分にあります。そう考えれば、有能な人材を迎え入れることによる家系の存続と天秤にかけたとき、トロイが持つ外部性は、一家にとって表沙汰にすべきものではなかったのでしょう。それでも父や叔母たちが祝いの言葉の端々に見せてしまうこの結婚への躊躇いは、そうした衰退しゆく南部事情を仄めかしているのです。

 

わたしのための結婚

結婚式の主役である花嫁ダブニーは、かなりテンション高めです。言い換えれば、異様なほど熱心に結婚式の準備に励んでいるのです。一世一代のライフイヴェントなのだから当然とも言えますが、それは、母を失ったばかりの幼い従妹ローラに鈍感に接してしまうほど。こうしたダブニーの結婚への強い思いは、トロイという男性を愛するからこそ、身分の差を超えてその愛を貫こうとしていると、まずは言っていいのかもしれません。ですが同時に、フェアチャイルド家への帰属意識と自己選択したいという感情の間に起きるジレンマが、彼女をそのような強い行動に駆り立てているように思えるのです。

彼女の鈍感さを指摘しましたが、親戚たちがトロイに向けている微妙な視線を、彼女が読み取っていないわけではありません。むしろ、敏感にそれを察知しているからこそ、過剰な鈍感さを発揮しています。一族には、独特の「フェアチャイルドらしさ」があると作中で度々描かれています。ダブニーは言葉には出さないものの、そうした一族の帰属感に縛られたくないと、父や叔母たちへの反抗心を隠し持っているのです。しかし、反抗心は持っていても、未婚のまま海外に出ていこうとする姉シェリーほどには強い行動力はありません。

そんなとき彼女は、叔母たちから押し付けられるようにして受け取った結婚のプレゼントであるナイトライトを受け取ります。2人の間に世継ぎが生まれることを促すべく渡されたと思われるナイトライトは、彼女をますます一族に縛り付けるもの。後に、ナイトライトが原因不明に壊れ、ダブニーが涙を流すという一連のエピソードは、自己達成の欲望と家系の責任のはざまで引き裂かれる彼女の意識を象徴しているようです。だからこそ、自分の心に時折激しく現れるフェアチャイルド家から脱却したいという願う気持ちと折り合いをつけるため、「この結婚は自らの選択である」ということの証に、結婚式に向け邁進していったのではないでしょうか。

 

自己増殖する南部女性たち

エレン・グラスゴー『不毛の大地』(Ellen Glasgow, Barren Ground, 1925)において、主人公ドリンダは、婚約者ジェイソンの裏切り(そしておそらく堕胎)を経験したことから、その後は固い決意をもって不毛な土地の再建に没頭します。足かせとなる子供を持つことのないドリンダのような女性は、旧南部の女性神話に回収されない「新しい女性」として、自己選択的に人生を送ることを達成していると言えるのかもしれません。別の男性とビジネスパートナー的な結婚はするものの、そこに信頼以上の愛を見出すことのないドリンダは、「男性的」といってよい人生の成功(=社会的・経済的成功)を収めることとなります。かつてはしばしば見ていたジェイソンの夢に悩まされることもなくなった彼女は、ジェンダーレス化された機械のように農作業に打ち込み、領地を増殖させていきます。

その行為に通ずるのが、ゾラ・ニール・ハーストン『彼らの目は神を見ていた』(Zora Neale Hurston, Their Eyes Were Watching God, 1937)の結末です。心から愛した男ティーケイクを自らの手で射殺したジェイニーは、自身の記憶の反芻によってその愛を永久不滅なものにします。彼女たちの行動は、おのずと南部の男性性を骨抜きにし、女性たちが彼らから得てきた子種の代わりとなるものを自らのうちに見出す、いわば、出産の代償行為。自我の発見により女性たちが最終的にたどり着いた強烈な結論は、旧南部が守ってきた家系の歴史を途絶えさせていきます。

『デルタ・ウェディング』における花嫁ダブニーの姉シェリーは、こうした南部女性文学に描かれている自己増殖する女性キャラクターと似ています。読書家のシェリーは、結婚をするなど正気の沙汰ではないという冷めた態度で、一歩引いた距離から妹の結婚式の喧騒を眺めています。妹の結婚式後すぐにヨーロッパへ旅行に出発する予定の彼女は、ドリンダやジェイニーのように、婚外で自己達成を果たす女性になりうる存在として、ダブニーと対比的なキャラクターとして造形されているように思います。

 

結婚を選ぶという自我

自由に生きようとする姉シェリーのような「新しい女性」の裏側で、廃れゆく南部家系をかろうじて繋げていくのが、身分下の男性トロイと結婚するダブニーです。フェミニズム的視座から捉えれば、その行為は、近代化により自己実現が可能となりつつある女性の自由選択を自ら手放すような、時代錯誤な行動に見えるかもしれません。

ですが、南部という排他的な性規範が存在する地域で、自身の性が本来あるところから屈折させられていることを感じながらも、直感的に家系の繋がりを保つ行動を取るとともに、即座にその行為と自我との折り合いをつけるしなやかで破天荒な身振り。規範と自意識の間で揺れ動きながらも、葛藤と覚悟を併せ持つダブニーの結婚は、常に意識的です。

ダブニーは熱い心でいまやマーミオンに行き、トロイと一緒に現実的な人生を歩もうとしている。この熱い心を持つことでわかったのは、世界中のすべての綿かがあったとしても、人生の一瞬に値しないということだ!なにがあったって、わたしは人生をつかみ、むしりとり、味わうことができる。人生に頬をすりよせることだってできる。ああ、ほかの人は誰も、わたしのこうした気持ちを知らないだろうけど。(ウェルティ237)

マーミオンとは、ダブニーが結婚に伴い管理を任せられたフェアチャイルド家の領地のこと。かつての栄光はあっても確実に衰えゆく土地を相続するという、20世紀の南部人としての大義を背負うとしても、自分の人生は必ず味わい尽くしてやると、彼女は人知れず決意を固めています。ならば、彼女の結婚を描くこの物語が指し示しているのは、新しい南部社会の中に芽生えたもう一つの女性の自我だと、私は思いました。

 

引用した作家について

ウィリアム・フォークナー(1897-1962)ミシシッピ州出身の南部男性作家。ジェファソンという架空の町を舞台に「ヨクナパトーファ・サーガ」なる作品世界を創造した。

ケイト・ショパン(1850-1904)ミズーリ州出身の女性作家。ニューオーリンズを中心にクレオール社会(フランス語文化圏の流れをくむコミュニティ)を描いた。

エレン・グラスゴー(1874-1945)ヴァージニア州出身の女性作家。主に南部を舞台に時代とともに変化していく様々な人々の現実を描いた。

ゾラ・ニール・ハーストン(1891-1960)フロリダ州出身の黒人女性作家。人類学を学んで黒人たちの伝承文化を研究し、その後、黒人共同体を小説に描いた。

 

引用・参考文献

Chopin, Kate. The Awakening. Norton, 2018.(ケイト・ショパン『目覚め』岡惠子・西岡惠子訳、2002年、南雲堂。

Glasgow, Ellen. Barren Ground. A Harvest Book, 1961.(エレン・グラスゴウ『不毛の大地』板橋 好枝 他訳、荒地出版、1995年。)

Hurston, Zora Neale. Their Eyes Were Watching God. Harper Perennial, 2006.(ゾラ・ニール・ハーストン『彼らの目は神を見ていた』松本昇訳、新宿書房、1995年。)

Welty, Eudora. Delta Wedding. A Harvest Book, 1946.(ユードラ・ウェルティ『デルタ・ウェディング』本村浩二訳、論創社、2024年。)

Faulkner, William, Absalom, Absalom. Edited by Joseph Blotner and Noel Polk, Faulkner Novels 1936-1940. The Library of America, 1990.(ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!(上)(下)』藤平育子訳、岩波、2012年。)

平石貴樹『アメリカ文学史』松柏社、2010年。