ここでは、
もしもしが独り言をつぶやいています。
「フォークナーからの逃走」
フォークナーを読むとき、けむたがれる時代や場所というのがある気がしています。
フォークナー協会が毎年出版している研究誌『フォークナー』の6号(2004年)に掲載されている佐藤宏子先生という米文学研究者のエッセイ「フォークナーからの逃走」に、こんな体験が書かれていました。
彼女は主にアメリカ女性作家を研究対象にしている方なのですが、かつて大学院生だったとき、フォークナー研究を志したことがあったそうです。
1950年代後半、彼女は日本の大学院でフォークナーに関する修士論文を書いた後、 アメリカの大学院でフォークナーの研究を本格的に行おうとしました。
ですが、それは叶いませんでした。
保守的な名門女子大だったその大学の卒業生たちに、フォークナーの研究を辞めるよう、やんわりと促されたと言います。
理由を問うと、1人の女性がこう答えました。
「わたしたちはあなたに歪んだアメリカのイメージを持って日本に帰ってほしくないの」(佐藤 7)
その大学を取り巻く雰囲気を察した当時の佐藤先生は、結局、自らフォークナー研究の道を辞めたのだそうです。
近代以降のヒューマニズムを拒絶するような南部の精神を克明に描いたフォークナーという作家は、虐げられた歴史を経て平等と権利を勝ち取ろうとしていた当時の女性知識人にとって、死んでも評価なんてしてやりたくない作家だったのかもしれません。
フォークナーは嫌われているのかもと感じた私の経験
社会的・政治的な情勢に伴って、文学においても性的・人種的・民族的マイノリティーと区分される作家が続々と登場する昨今、かつてメインストリームに存在した白人作家は昔よりも読まれなくなっている気がします。
毎年協会から発行される専門誌『フォークナー』でさえ、近年薄くなっているように感じます。
ただ、たとえ読む人間が減っていようとも、数年前まで日本の英米文学アカデミアの端っこにいた私が、「フォークナーを研究しています」と自称することの肩身の狭さを感じたことは、一度もありませんでした。
それだけ正統派で保守的な研究を中心に扱う大学院に在籍していただけなのかもしれません。
力のある指導者に守られていたのかもしれません。
あるいは、単に私が鈍かっただけかもしれません。
理由はわからないけれど、「大作家フォークナー」の名を出しづらいなんてことは、一度もありませんでした。
ですが、先月アメリカ旅行に行ったとき、中西部の州立大の院生の女の子と話す機会がありました。
インド出身だという彼女は、英語のたどたどしい私にとても親切にしてくれました。
彼女の専門分野に関する話を熱心に教えてくれたし、日本文化のことや、私の興味範囲の料理や映画に関する話も笑顔で聞いてくれました。
けれど、こと、メインストリームの白人作家に関する話題となると、わかりやすく反応が悪くなりました。
細かい話の内容は省きますが、「私は日本の大学院でフォークナーを研究していたんだよ」なんて、とても言えないような雰囲気でした。
彼女が「そういう作家を受け入れられない人」というだけだったのかもしれません。
でも、そのことを彼女と同じ大学に通う日本人院生に話したところ、実際、みんな表立って批判するわけではないけれど、フォークナーを腫れ物扱いする研究者や院生は結構いるよ、と教えてくれました。
そのことがわたしには衝撃でした。
ああそうか、フォークナーを敬遠する人どころか、フォークナーなんて嫌いだとはっきり発言する人すら、世界にはそれなりにいるんだなとということに初めて気づきました。
私がフォークナーを読む理由
とはいえ、研究は研究。読書は読書。
嗜好や政治的信条とは違ってもいいのだから、私はフォークナーを研究していたよ!今も読むよ!と、相手が誰であれはっきりと言えばよかったのです。
そう伝えられなかったのは、自分は研究者ではないという引け目と、まあ、英語力のなさゆえでしょう。情けない限り。
そして、ここまでつらつらと書いてきたのは、フォークナーは今でも最高、みんな読もうぜ!と言いたいわけでも、フォークナーなんて世界では流行ってないぜ~と海外かぶれしたいわけでもありません。
むしろフォークナーを紐解くたび、このおじさん、レイシストだし、女性蔑視野郎だし、文章つらつら長くてわかりづらいし、言葉遣いなんてめちゃくちゃ古臭くて本当にやんなるな、と思います。
でも、ふとしたとき、うわーこの人なんでこんなに私のこと知ってるの?と感じ、とてもどぎまぎします。
文学におけるキャラクターって、作家の信条とか意図を飛び出しちゃうような振る舞いをしたり、言ったりする瞬間があるようです。
そういう瞬間を味わうため、私は今でもフォークナーを読んでいます。
9月25日、ウィリアム・フォークナーの誕生日に。
引用文献
佐藤宏子「フォークナーからの逃走」フォークナー協会編『フォークナー第6号』松柏社、2004年、pp. 4-7。